moon



 1990年代中頃だったでしょうか、僕は五木寛之さんのラジオ深夜番組『五木寛之の夜』にゲストとして呼ばれ、少し緊張しながら話をしていました。なにしろその日、スタジオを間違えてしまい、五木さんを1時間以上待たせてしまったのです。息せき切ってスタジオに駆けつけてすぐに収録がスタート。
 (……今日のゲストは“たくきよしみつ”さんです……)。
 五木さんは、僕がお送りしたTANUPACKレーベルの記念すべきCD第1作め『狸と五線譜』を非常に気に入ってくださり、なんとその前2週にわたって放送で紹介してくださっていました。
 中でも僕が歌った“麗しき距離(ディスタンス)”という曲を誉めてくださって、その日もかけることになりました。
 番組の最後に、本とCDをプレゼントということになったのですが、いったいどれくらいの応募があるのか心配でした。
 番組のディレクターには、できれば応募葉書を全部見せてくださいとお願いしてあったのですが、年末になって、その葉書の束が届けられました。音楽の感想をびっしり書き込んだものや、どうしても買いたいから購入方法を教えてほしいという問い合わせなどもかなりあり、このまま「外れ」として無視してしまうのにはとても忍びない熱心な書き込みのあった葉書をさらに追加で10枚選び、CDをプレゼントすることにしました。
 その中に、大阪市の吉本裕子さんの葉書もまじっていました。その葉書は今でも僕の手元に残っています。
「〜もし当選しなかったら買いたいので、その方法を教えてください」と書いてあり、「当選しなかったら買いたいので」のところに黄色のラインマーカーが引かれていました。

 その後のことは、実はあまりよく覚えていないのです。お礼状が届き、何度か手紙をやりとりしたと思うのですが、内容は忘れてしまいました。
 彼女が元演歌歌手だと知ったのは、ずっと後になってからのことです。

 演歌というものには不思議な思い入れがあります。
 実父は演歌が好きで、ギターの弾き語りをしていました。作曲もしたようです。
 母はそれが耐えられず、僕にはいっさいその手の音楽を聴かせまいとしました。
 音楽を始めた頃、仲間たちからはよく「よしみつはセンスがだせえんだよ」と言われたものです。ポップスやジャズをやろうとしても、ついついメロディーが演歌調になるのです。そんなとき、父親の「血」を感じたりもしました。
 演歌、いや、ストレートな日本語の歌謡曲を作ってみたいという気持ちはだいぶ前からあって、今がその時期かもしれないという気になりました。
 
 今回、2曲を彼女のために書き下ろしましたが、よい出来だと自負しています。僕の中の演歌的なものと反演歌的なものが対立することなく、うまく融合してくれたのかもしれません。
 メロディーが軽視された子供の歌ばかりが売れる昨今ですが、この「大人の歌」を、じっくりと聴いてください。
                   
たくき よしみつ

次へ次へ